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DNAは生命の設計図ではない!

「生命の仕組み(How Life Works: A User's Guide to the New Biology)」っていう本を読みました。著者のフィリップ・ボールさんは、あの泣く子も黙るNatureの元編集者であり、ゴリゴリのサイエンスライター。2023年に出た本なんですが、これは控えめに言って、ここ数十年の生物学のパラダイムを根底からひっくり返すような野心作でして、めちゃくちゃ興奮しました。

私を含め、『利己的な遺伝子』なんかを読んで「結局、人間なんて遺伝子の乗り物にすぎないんでしょ?」と冷笑的に悟った気になっていた人には、かなり強烈なビンタを見舞ってくれる一冊になっております。

本書のメインテーマをざっくり言うと、「生命をコンピューターや機械に例えるのを、もういい加減やめようぜ」ってことです。私たちはDNAを「プログラム」とか「絶対的な設計図」だと思い込み、細胞をそれに従って動く「工場」だと捉えがち。でも、2000年代にヒトゲノムが完全解読されてわかったのは、人間の遺伝子の数は約2万個で、線虫(ちっこいミミズみたいなやつ)とほぼ同じだったという衝撃の事実。部品表を全部手に入れたのに、なぜ人間があんなに複雑なのか全然説明できなかったわけです。

  • まず前提として、「DNAが命令し、細胞がそれに従う」というトップダウンの考え方は完全に破綻しているらしい。著者に言わせれば、遺伝子なんてものは能動的な司令塔ではなく、細胞が環境に応じて引っ張り出して使う「ただの道具箱(ツールボックス)」に過ぎない。主導権を握っているのは遺伝子ではなく、常に環境と対話している「細胞という主体」のほうである。これはビジネスで言えば、「社長(DNA)の完璧なマニュアルで動く会社」ではなく、「現場の社員(細胞)が状況を読んで、マニュアルを勝手にアレンジしながら回している会社」のほうが、生命の現実に近いということになる。
  • この「現場のアレンジ力」を示す象徴的な例が、「選択的スプライシング」という仕組み。例えばショウジョウバエの神経回路に関わるたった1つの遺伝子は、細胞側の都合で切り張りの組み合わせを変えることで、なんと理論上3万8000種類以上ものタンパク質を作り出せる。また、長年「ゴミ(ジャンクDNA)」と呼ばれてきた、タンパク質を作らない残り98%のDNA領域も、実は「いつ、どこで、どの遺伝子を使うか」を制御する超複雑なスイッチング・ネットワークとして機能している。つまり、生命の豊かさは「部品の数」ではなく、「組み合わせの妙」と「文脈(コンテキスト)」によって生み出されていると言える。
  • 生物学が長年嫌ってきた「ノイズ(ゆらぎ)」と「曖昧さ」こそが、実は生命の最強の武器であるという指摘も面白い。機械ならエラーとして排除すべきノイズを、生命は適応のための「遊び」として積極的に利用している。タンパク質の中には、あえて決まった形を持たず、出会った相手に合わせて柔軟に形を変える「本質的天然変性タンパク質(IDPs)」と呼ばれるものがいて、これらは細胞内で“分子の乱交”とも呼べる多様な結びつきをしている。さらに「液-液相分離(LLPS)」といって、必要な時だけ水と油が分離するようにフワッと細胞内に「膜のない部屋」を作り出し、用が済んだらサッと消えるようなダイナミックなこともやっている。要するに、カッチリした設計図を真面目に実行するより、適当に揺らいでいたほうが変化に強い。
  • 個人的に一番面白かったのが、細胞が持つ「エージェンシー(主体性・目的指向性)」と、マイケル・レヴィン博士の「ピカソのオタマジャクシ」の実験。カエルの胚の電気シグナルだけを人為的に操作して、目や鼻、口の位置が福笑いみたいにバラバラになったオタマジャクシを作ったところ、なんと成長の過程で細胞たちが勝手に移動し、最終的には「正常なカエルの顔」に自己補正してしまったという。遺伝子という設計図が同じでも、スタートラインが狂っていたら機械なら絶対に完成しない。しかし生命は、「本来あるべき目標の形」をネットワーク全体で記憶し、そこへ向かって臨機応変に問題を解決する「認知能力」を細胞レベルで持っているというわけ。
  • この「細胞のエージェンシー」という視点は、現代医療の限界をも突き破る可能性を秘めている。今の創薬の主流は「病気の原因となる特定の分子を、薬という弾丸で狙い撃ちにして機能を止める」という機械論的なアプローチだが、生命はネットワークで動いているため、一箇所を止めてもすぐに迂回路を見つけて薬剤耐性を持ってしまう(コロナウイルスの病態の複雑さもこれ)。がん細胞にしても、単なる「壊れた機械の暴走」ではなく、「周囲の環境に適応するために、利己的な別の生き方(生存戦略)を選び取った賢い主体」として捉え直す必要がある。そうなると、今後の治療は「異常細胞を毒で皆殺しにする」という野蛮な戦争から、「細胞のネットワークに働きかけて、彼らを正常な振る舞いへと“説得(Persuading)”する」という高度な外交戦へとシフトしていくことになる。

ということで、私たちが学校で習ってきた「遺伝子がすべてを決める」という生命観が、いかに直線的で貧困なメタファーだったかを見せつけられる内容でしたね。

余談ですが、この本が提示する「新しい生物学」は、私たちの普段の生き方や、組織の作り方にも強烈な示唆を与えてくれています。私たちはつい、人生やビジネスにおいて「完璧な設計図(計画やマニュアル)」を作り、それに従って自分や他者を「機械のように」コントロールしようとしがちです。エラーやノイズを嫌い、効率よく一直線に目的を達成することばかり評価する。

でも、生命の歴史が38億年かけて証明したのは、「完璧なプログラムで動く機械は、未知の環境変化に直面するとあっけなく死ぬ」という残酷な事実です。

生命の本当の強さは、目的や意味を「トップダウンの命令」に頼るのではなく、現場のノイズと格闘しながら、その場その場の文脈に応じて「ボトムアップの交渉」で創り出していく力(エージェンシー)にあります。だからこそ、私たちも「計画通りに動けない自分」を壊れた機械のように責める必要はないよなーという気持ちになりました。「ちょっと今、環境に合わせて独自の生存戦略を再計算してる最中だから」くらいに構えておけばいい。

人間社会のシステムを、滑らかでノイズのない機械に近づけようとする現代の風潮に対して、「いやいや、もっとゴツゴツしてて、ファジィで、無駄が多くていいんだよ。だって俺たち、生命だからさ」と、強烈なカウンターパンチを食らわせてくれる。そんな人間賛歌のようにも読める、最高にエキサイティングな一冊でございました。

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