
『There's Nothing Like This』って本を読みました。著者はハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)のシニアエディター、ケビン・エバーズさん。
正直、HBRから本書を見つけたとき、ポップスターのビジネス本? しかもテイラー・スウィフト? って、最初はちょっとナメてた部分もありました。熱狂的なファン(スウィフティーって言うらしいですね)向けの賛辞本だろうと。ところがどっこい、これはガチの経営戦略ケーススタディでして、彼女をスティーブ・ジョブズやジェフ・ベゾスと並べて論じる、とんでもない一冊でございました。
本書の主張は明快で、「彼女の成功は才能や偶然の産物じゃない。すべては計算され尽くした戦略的判断の結果だ」というもの。いやはや、読み進めるうちに、その分析の鋭さに背筋が伸びる思いでした。
ということで、以下、面白かったポイントと読書感想文です。
誰も見向きもしなかった「少女たちの心」というブルー・オーシャン
まず全ての始まりが、彼女のキャリア最初の特異な決断にあります。当時、テイラーは大手レーベルRCAとの育成契約を持ってたんですが、それを自ら蹴って、できたばかりのインディーレーベルと契約したらしい。普通に考えたら、安定を捨ててリスクを取る、狂気の決断です。
しかし彼女には、当時の音楽業界のオ偉いさんたちが「儲からない」と無視していた、10代の少女という巨大な市場が見えていた、と論じられています。まさにこれは「ブルー・オーシャン戦略」だ、と。つまり、競合がひしめくレッド・オーシャンで戦うのではなく、誰もいない穏やかなブルー・オーシャンを自ら創り出した、と。
彼女は自分の体験を赤裸々に歌詞にして、ティーンの女の子たちが「これ、私のことじゃん!」と感じる曲を連発した。これは単なる楽曲制作じゃなくて、「無視されていた層の感情を肯定する」という、明確なビジョンに基づいた市場創造だったワケです。この初手からして、すでにアーティストの枠を超えてるんですな。
叩かれるほど強くなる「反脆弱性」という最強の鎧
本書で最もシビれたのが、彼女の「危機対応」の分析。特に、キャリア最大の危機と言われた、カニエ・ウェストとのビーフで世間から「蛇(snake)」と大バッシングされた一件。SNSは炎上し、彼女は完全に悪役に仕立て上げられたのは記憶に新しい人もいるかもしれません。普通のメンタルならここで潰れるでしょう。
しかし彼女は、ただ耐えるんじゃなくて、1年間沈黙した後、その「蛇」のイメージを逆手に取り、アルバム『Reputation』でカムバックした。これは、思想家ナシーム・タレブが提唱した「反脆弱性(Antifragility)」の完璧な実践例だと指摘されています。反脆弱性ってのは、衝撃やストレスによって、壊れるどころか、むしろより強くなる性質のことですね。
彼女は、自分に向けられた悪意や批判を、否定もせず、言い訳もせず、すべて飲み込んで、それを燃料にアートへと昇華させた。「お前らが言う『蛇』は私だ。文句あるか?」と。この古典的なナラティブ・リバーサルによって、PR上の大ピンチを、ファンとの絆を強め、商業的にも大成功するエンパワーメントの物語に変えてしまった。ビジネスの世界で同じレベルの危機対応ができてる経営者が何人いるでしょうか。 圧巻ですねぇ。
自分の資産は自分で守る「再レコーディング」という前代未聞の喧嘩殺法
そして極め付けが、彼女のキャリアを決定づけた「再レコーディング」という戦略。
事の発端は、彼女の過去6枚のアルバムのマスター音源が、本人の知らないところで投資ファンドに売却されてしまったこと。自分のライフワークとも言える作品の所有権を奪われたわけです。
ここで彼女が取った行動がすごくて、法的な抜け穴を見つけ出し、「過去のアルバムを全部、一から自分でレコーディングし直す」という荒業に打って出たらしい。本書ではこの行動を、単なる感情的な反抗ではなく、複数の狙いを持った高度なビジネス戦略だと分析しています。つまり、
- 資産価値の意図的な破壊:ファンドが所有する「旧盤」の価値を、より高音質で追加曲も入った「新盤(Taylor's Version)」を出すことで、相対的に暴落させる。
- ファンの動員:ファンに対して「私の作品を正当に評価したいなら、旧盤じゃなく新盤を聴いて」と呼びかけ、数百万人の消費行動を意識的に変えさせた。
- 物語の構築:「アーティストの権利を取り戻す」という力強い物語を掲げ、ファンをこの「闘い」の当事者にした。
変なたとえですが、「長年通ったラーメン屋のレシピを乗っ取られた伝説の店主が、その店の真横に『元祖はこっちだ』と、もっと美味い新店舗を建てて、常連客を全員そっちに誘導するようなもん」ですね。執念と戦略が組み合わさった、とんでもない一手だったわけです。
で、結局テイラー・スウィフトから何を学ぶべきなのか?
本書を読み終えて思うのは、彼女の戦略の根底には、一貫して「物語の完全所有権(The Complete Ownership of the Narrative)」を握るという執念がある、ということ。
自分の人生を自分の言葉で歌い(作詞作曲)、メディアが作る虚像を自らの作品で破壊し(反脆弱性)、そして自分の過去の作品(資産)の所有権すらも力ずくで取り戻す(再レコーディング)。これら全てが、「自分の物語の語り手は、自分以外にありえない」という強烈な意志の表れなんじゃないかなー、と。
現代は、個人も企業も、あっという間に他人が作った「物語」の中に閉じ込められてしまう時代。SNSで勝手な評価をされ、市場からは古いとレッテルを貼られ、気づけば自分の価値の決定権を他人に握られている。
そんな時代だからこそ、テイラー・スウィフトの生き様は、単なるポップスターの成功譚じゃなく、全てのクリエイター、起業家、そして自分の人生の主導権を握りたいと願う全ての人にとっての、「現代のサバイバル戦略」として読めるのかもしれません。いやはや、異色のケーススタディではありましたが、かなり楽しく読めました。おすすめ。